9月4日の記事
2011年09月04日
100グラムテングサ3600水
酢大さじ2
↑すこし固めがすきな母のレシピ
上記コトコト煮てとろみをつけます。約40分…
きれいに漉してバットにあけて固めてできあがり!
しかしうちにはトコロテン抜きがない!かいにいかないと。
国土地理院
2011年08月20日
確か村上春樹さんの小説で。ルームメイトが朝早くおきてラジオ体操をして国旗の上げ下げをして、地理がすきで将来的には国土地理院に就職するのが夢だという青年について「ずいぶん変わった奴だなあ」という感想をもつ主人公がいたが、何を隠そう私もその国土地理院に憧れをもつ高校生だった(笑)高校のときのいちばんの得意教科は地理で、等高線をひいたり山脈を茶色くぬったり、シエラレオネがどこか調べるのが好きでたまらなかった。好きだったから地理の成績がいちばんよくて、地理学科に進みたかったが受験では他の国土地理院志望者に負けてしまい、ぜんぜん関連性のない学科に進学したが、一般教養は地学をとった。しかし地学はサッパリ面白いとおもわなかった。地層を探したりするのと地図のうえで世界旅行をするのではまったく違う。
Googleアースがしびれるほど好きで、何時間もみていられるのも国土地理院志望者だったおかげか。
しかし…こんなに地図がすきなのに、サッパリ方向音痴です。北に進めといわれてもどっちが北側がわからない。
昨日名探偵コナンでいっていたけど、絶対音感がないと音楽家になれないかというとそんなことはないって。
香はどうだろうね?嗅覚の鋭敏さだけが必要条件ではない。ネ(鼻)の人は好奇心と想像力が人一倍大きいのではないかと思われる。
今日ブルキナファソのシアバターを見ながらアフリカに思いを馳せるのでした…
あぶらやさんのイベント、最後までいたかったなあ〜〜。
97年~98年
2011年07月29日
97年から98年は自分にとって転換期だったので、いろいろな場所にいって、いろいろな人に出会った。
そんなにこまめに日記をつけていたわけではないけど、こうして今、読み返すと、実にかわった出会いがたくさんあったなあと思う。
お正月は家族で平戸(両親の故郷)にいったことが書いてある。もう忘れてたよ、これよんで思い出した。
98年は南フランスにいって、そのあと一回日本に帰ってきて、そのあと1か月くらいしてポーランドにわたっている。そのあと10か月くらい、凍てつく寒い場所で暮らすことになる。寒冷地で暮らしたことがない私、装備が甘すぎた。現地でコートとかかったもんなあ・・・
そんなにこまめに日記をつけていたわけではないけど、こうして今、読み返すと、実にかわった出会いがたくさんあったなあと思う。
お正月は家族で平戸(両親の故郷)にいったことが書いてある。もう忘れてたよ、これよんで思い出した。
98年は南フランスにいって、そのあと一回日本に帰ってきて、そのあと1か月くらいしてポーランドにわたっている。そのあと10か月くらい、凍てつく寒い場所で暮らすことになる。寒冷地で暮らしたことがない私、装備が甘すぎた。現地でコートとかかったもんなあ・・・
97年の日記より~不思議な出会い
2011年07月29日
このとき、まだ私は会社員だったんだなあ・・・
中野から電車に乗ったら喧嘩にでくわした。
一人よっぱらいのおやじのせいで、みんなが不快になっていた。
女の人が目に涙をためて悔しがっていた。
私は彼女の隣に座った。
席をつめてください
といったら、よっぱらいおやじに嫌なことを言われたらしい。
彼女のとなりにたまたま座ったおじいさんが彼女をなぐさめていた。
彼女も少し酔っていて、普段、他人に話さないようなことを話し始めた。
私はとなりにすわっていたので話が聞こえていた。
彼女はおせんべいを配り始めた。私は遠慮なくいただいた。
おじいさんが武蔵境で降りて、彼女は私に話し始めた。
独身であること、いま、高校生の男の子を32歳のときに産んだこと、幸せな状態・・・いろいろなこと。
私ははい、と相槌をうつだけだった。
国分寺で降りるとき、彼女におせんべいのお礼をいったら、にっこり笑って「またあえるといいね、おやすみ」と言われた。
中野から電車に乗ったら喧嘩にでくわした。
一人よっぱらいのおやじのせいで、みんなが不快になっていた。
女の人が目に涙をためて悔しがっていた。
私は彼女の隣に座った。
席をつめてください
といったら、よっぱらいおやじに嫌なことを言われたらしい。
彼女のとなりにたまたま座ったおじいさんが彼女をなぐさめていた。
彼女も少し酔っていて、普段、他人に話さないようなことを話し始めた。
私はとなりにすわっていたので話が聞こえていた。
彼女はおせんべいを配り始めた。私は遠慮なくいただいた。
おじいさんが武蔵境で降りて、彼女は私に話し始めた。
独身であること、いま、高校生の男の子を32歳のときに産んだこと、幸せな状態・・・いろいろなこと。
私ははい、と相槌をうつだけだった。
国分寺で降りるとき、彼女におせんべいのお礼をいったら、にっこり笑って「またあえるといいね、おやすみ」と言われた。
たーちゃんのこと(昔の日記より)
2011年07月29日
古い日記。
97年10月19日千葉にて
一人、静かな部屋にて。
たーちゃんに会った。(たーちゃんとは、私の大好きな友人で同じ誕生日で、いまはアメリカで暮らしている。このときたーちゃんは小学校の産休代行教諭をしていた)
たーちゃんの顔をみて少し驚いた。たーちゃんは病み上がりな顔をしていた。
夜も走っているくらい体力を使うほどホルモンを使う「こうじょうせん」の病。
たーちゃんらしい病気で驚く。夜ねていても走っているとは・・・
背の順ってばかげてるとおもうよね
と、たーちゃんはいう。考えてみれば差別になるんじゃないの? って。
そうだね。ならぶ必要ってなんだろう?
集会のため? 校長先生の顔を見るため?
私はいつも私の前にくる女の子の髪のリボンを眺めていた。
大嫌いな集会。
バスにのったら、自分の通っていた中学のバックをもってジャージ姿の中学生が何人もいた。
嫌な思い出がよみがえる。
7人もの人間にのっかられた子の話。
たーちゃんは一番したの子の気持ちをわからせるために、7人全員にいちばんしたにさせた。
ほかの7人の子は一番したになったことがなかったから、彼のいたみを理解できなかったから。
それ以来、その遊びをすることはなくなった。
机、席順のこと
席替えを毎月していた。
「背の低い子が前、高い子がうしろ」
これが当たり前になっていた。
でも、ふつう、これ社会で通用しないよね。映画やコンサート、小さいからって前いけないよね。
だから、たー先生はあ「10㎝右に机をずあしなさい」といった。大きなこの後ろになった小さい子は10cm机をずらした。「まだみえない?」「みえます」
こういう当たり前のこと、教えてあげないとね。
たーちゃんはこのときアメリカ人と付き合っていて、英語のできないもどかしさを感じたらしい。
私もこのころ精油の仕事を始めていて、海外とのやりとりで英語が必要で、もどかしさを感じていた。
100本の映画をみたとたーちゃんは言っていた。
わたしの今年の目標は何だった? 私、何していたんだろう・・・
***
たーちゃんはアメリカ人と結婚して、子供がいて、オレゴンで幸せにやっています。といっても、最近は音信不通になってしまった。
97年10月19日千葉にて
一人、静かな部屋にて。
たーちゃんに会った。(たーちゃんとは、私の大好きな友人で同じ誕生日で、いまはアメリカで暮らしている。このときたーちゃんは小学校の産休代行教諭をしていた)
たーちゃんの顔をみて少し驚いた。たーちゃんは病み上がりな顔をしていた。
夜も走っているくらい体力を使うほどホルモンを使う「こうじょうせん」の病。
たーちゃんらしい病気で驚く。夜ねていても走っているとは・・・
背の順ってばかげてるとおもうよね
と、たーちゃんはいう。考えてみれば差別になるんじゃないの? って。
そうだね。ならぶ必要ってなんだろう?
集会のため? 校長先生の顔を見るため?
私はいつも私の前にくる女の子の髪のリボンを眺めていた。
大嫌いな集会。
バスにのったら、自分の通っていた中学のバックをもってジャージ姿の中学生が何人もいた。
嫌な思い出がよみがえる。
7人もの人間にのっかられた子の話。
たーちゃんは一番したの子の気持ちをわからせるために、7人全員にいちばんしたにさせた。
ほかの7人の子は一番したになったことがなかったから、彼のいたみを理解できなかったから。
それ以来、その遊びをすることはなくなった。
机、席順のこと
席替えを毎月していた。
「背の低い子が前、高い子がうしろ」
これが当たり前になっていた。
でも、ふつう、これ社会で通用しないよね。映画やコンサート、小さいからって前いけないよね。
だから、たー先生はあ「10㎝右に机をずあしなさい」といった。大きなこの後ろになった小さい子は10cm机をずらした。「まだみえない?」「みえます」
こういう当たり前のこと、教えてあげないとね。
たーちゃんはこのときアメリカ人と付き合っていて、英語のできないもどかしさを感じたらしい。
私もこのころ精油の仕事を始めていて、海外とのやりとりで英語が必要で、もどかしさを感じていた。
100本の映画をみたとたーちゃんは言っていた。
わたしの今年の目標は何だった? 私、何していたんだろう・・・
***
たーちゃんはアメリカ人と結婚して、子供がいて、オレゴンで幸せにやっています。といっても、最近は音信不通になってしまった。
グレードアップ
2011年07月03日
パッションフラワー
二回目
しょうぶ
C離乳食
2011年06月05日
二回目
Cのごはん
2011年06月04日
サマードレス
2011年06月02日

Cです。
おしゃれなドレスを送っていただいたので。
しかし寒いですね。毎年こんなんだったっけ?
(去年の記憶すっぽり欠落。入院で一歩も外でなかった)
この写真、ひとつきほど前のだから、いまもっと大きいかも。はいはいまでもうすこし。毎日ヨガのポーズみたいのをやっています。上をむいた犬のポーズ、したをむいた犬のポーズ。(太陽礼拝など)
20代のころに書き留めていたこと
2011年05月11日
昔のメモ帳発見。おもしろいなー自分。
忘れかけていたことがメモにより発掘される。
*鏡*
昔母がいっていたことを思い出す。「人間ってかがみで見ているかおを自分の顔と思っているけど、本当にそのかおが自分のだって他人にしかわからないんだよね」
私は理解しようとしてすごく混乱した。
*虫*
秋のよるにまどをあけると虫の声が聞こえる。
その声は浪人時代を思い出す。この声ききながら、夜おそくまで勉強しているふりをしていた。
私は実に効率のわるい勉強をしていたと思う。歴史なら弥生時代から先に進まないし。
*時計*
時計をいつも持っていて、いつも何時か見ている。
さなえちゃんが前にいっていた。
インドネシアで時計をみたことない。必要ないから。腹が減ったらたべて、眠くなったらねる。最上の幸せ。
ようこちゃんが前にいってた。アフリカでは年を数えるという概念すらないと。自分が何歳であるかを忘れちゃうんだって。
何かそれぞれのちがうとか特徴とかすごく面白い。
*バラを育てる画家*
近所に画家がいる。太っていて、毎日深夜に体操をしている。
そこにバラの植木鉢が12個あって、そこでその画家は大事にバラを育てる。
ひょろひょろしたバラで1本に1つしか花をつけない。毎日画家は水をやっている。
(以後、この画家の家は火災にあい、全部もえちゃうの。。。)
*おトイレはない*
小学校のとき、いやな男の先生がいた。
大嫌いだった。何かをいうと戦争の話をして、たいくつさせる。市原利久先生。名前も忘れられない。
頓珍漢で偏屈な人だった。
Aちゃんが「先生、おトイレいってきていいですか」ときいたら「おトイレなんてない!」とかいっちゃって。一瞬Aちゃんも私たちもしーんとしちゃった。トイレは英語だから、それに「お」をつけるなんておかしいというのだ。「お」をつけたいなら「おべんじょ」だと。
なにか戦争のとき、アメリカにひどくいやな目にあったのかしれない。
やたらそのイメージを考え小学生(1、2年生)に押しつけて、私のイメージはへんな人でしかなかった。
(後日談:こんだけいろいろなことを覚えていて忘れていないってことは、やっぱり市原先生すごいのかも!)
忘れかけていたことがメモにより発掘される。
*鏡*
昔母がいっていたことを思い出す。「人間ってかがみで見ているかおを自分の顔と思っているけど、本当にそのかおが自分のだって他人にしかわからないんだよね」
私は理解しようとしてすごく混乱した。
*虫*
秋のよるにまどをあけると虫の声が聞こえる。
その声は浪人時代を思い出す。この声ききながら、夜おそくまで勉強しているふりをしていた。
私は実に効率のわるい勉強をしていたと思う。歴史なら弥生時代から先に進まないし。
*時計*
時計をいつも持っていて、いつも何時か見ている。
さなえちゃんが前にいっていた。
インドネシアで時計をみたことない。必要ないから。腹が減ったらたべて、眠くなったらねる。最上の幸せ。
ようこちゃんが前にいってた。アフリカでは年を数えるという概念すらないと。自分が何歳であるかを忘れちゃうんだって。
何かそれぞれのちがうとか特徴とかすごく面白い。
*バラを育てる画家*
近所に画家がいる。太っていて、毎日深夜に体操をしている。
そこにバラの植木鉢が12個あって、そこでその画家は大事にバラを育てる。
ひょろひょろしたバラで1本に1つしか花をつけない。毎日画家は水をやっている。
(以後、この画家の家は火災にあい、全部もえちゃうの。。。)
*おトイレはない*
小学校のとき、いやな男の先生がいた。
大嫌いだった。何かをいうと戦争の話をして、たいくつさせる。市原利久先生。名前も忘れられない。
頓珍漢で偏屈な人だった。
Aちゃんが「先生、おトイレいってきていいですか」ときいたら「おトイレなんてない!」とかいっちゃって。一瞬Aちゃんも私たちもしーんとしちゃった。トイレは英語だから、それに「お」をつけるなんておかしいというのだ。「お」をつけたいなら「おべんじょ」だと。
なにか戦争のとき、アメリカにひどくいやな目にあったのかしれない。
やたらそのイメージを考え小学生(1、2年生)に押しつけて、私のイメージはへんな人でしかなかった。
(後日談:こんだけいろいろなことを覚えていて忘れていないってことは、やっぱり市原先生すごいのかも!)
雨上がりのバラ
5月6日の記事
バンディアハーブ
先輩たちのことば
2011年04月21日
コドモのことで、先輩たちの言葉、何気ない一言でずいぶん助かった。
退院するときに、非常に不安で、やっていけるんだろうか?
とくよくよしたときに
「私もそうだったよ!」
とか
乳が痛い、血がでる、などのとき
「最初はみんなそうだよ! そのうち慣れるよ」
とか。
そういった、何気ない言葉でずいぶん助かった気がした。
やっぱり、産んですぐは精神状態が普通じゃないんだと思う。
興奮してるし、なんでもないことでくよくよするし。
しゃっくりをしている子供を抱いてナースセンターにいって「これは何!?」と夜中の3時に聞いたのは私です。。。
看護士さん「大丈夫大丈夫。ほうっておいてもいいんだけど、乳やると収まることがあるっていわれてるわよ!」と。
夜中、コドモだいて廊下をうろうろしていると、同じように夜鳴きされて困って、部屋からでてきて廊下をすれ違うママ。
どろどろに眠いんだけど、コドモがシュコシュコいいはいじめると小さい音なのにすぐ目を覚まして、オムツかえて乳やりをする。最初の一ヶ月、なれるまでがとても大変だった。
風呂も、いまはだいぶなれたけど、最初は大仕事。やんややんや!
たった半年で産まれてから2倍の大きさになったようで、足や手がしっかりして、声をしっかり出すようになってきた。(まだ、あーとかうーとかだけど。うれしいときはキャッキャって笑う)

保育園アゲイン
2011年04月20日
はい。そして現在。すでに5.5ヶ月になっています。
妹んちの子は離乳食はじめたとのこと。
うちはまだあげていません。6ヶ月はいってからにしようと思っています。
保育園8日経過。
だいぶなれたらしく、今日は4時間みてもらえた。
一時に迎えにいくと、やたら静かな部屋になっていて「今日はなんでこんなに静かなのかしら?」先生にきくと「おひるねですよ」とのこと。明日はこのお昼ねタイムも体験させる予定。
明日は14時かな。お迎えタイム。コドモと離れるのはさびしいんだけど、自分の時間が確保されるため、本当に助かる。
毎週月曜は予防接種デー。毎週違う注射をうってる。
保育園いくと、力いっぱい遊んで楽しいらしく、帰ってくると疲れて寝ることが多いのでベットに寝かせて仕事をしている。
私。朝型に変更したため、すでにもう眠い。むにゃむにゃ。おやすみなさい。
出産ラプソディ(2)
2011年04月20日
Xデーのこと。
11月8日が予定日。ちなみに妹は11月15日だったかな? が、予定日。
そう。いとこが非常に近い誕生日にうまれる予定だった。
私。11月6日昼前、出血あり。おやー! そろそろかな。
前日医者にいったときはまだ子宮口開いてなくて、予定日越えそうだったから入院予約したのに。(そのときは無理やりだす! 育ちすぎると出すの大変になるから、らしい)
で、関係各所にメール。(というか、夫と母と妹、仲良しの友人)
そろそろくるなー。
この日、夫、仕事で家にいず。仕方ないからタクシーチェックしたりして。
その日は普通に仕事しましたよ。(そうそう。私、日常が休みみたいなもんで、仕事と線引きしておらず、だらだらと仕事していた)
翌日朝方5時ごろ。ぎゅーぎゅーと腹がいたい。これが陣痛なんだろうか?
でも、別にこれは耐えられるな。たいしたことない。医者いってかえってくださいっていわれたら面倒くさいな・・・なんておもいながら妹にメールしたら
「破水して入院しました」
とな。
おりゃー。ぬかされた!
で、私。時計みてると間がせばまっているのがわかり、病院に電話。「ではきてください」といわれて夫に病院まで送ってもらう。でもこの時点ではまだ余裕。
夫、この日に限り、遠方で仕事。この週はわりと仕事あけてもらっていたのに、よりによってこの日。
しかたなや。さいならーと病院で別れて、私だけ病室へ。
心音チェックをしたあと自分が入院する部屋へ通される。
(この時点で「勝負ウエア」を着せられる。オムツ着用。やたら尻がごわごわする。)腹がでているからうごきは非常に干満。そして一定の間隔でくる陣痛。
でも波と波の間では平常。だからメールしたり、日記かいたりのんきに過ごしている。
朝ごはんは自宅で食べて(忘れもしない。わたしの好きなコストコのミニクロワッサン)お昼からは病院ででたものを食べる。
でも昼くらいから痛みのウエーブが確実に大きくなっていて、ぎゅーぎゅーときている間はご飯も食べられない。しかしその波をおいやると、また普通にたべられる。不思議!
妹にメールしてみる。お互いの確認をしていたのだけど。。。あれ。そういえば音沙汰がなくなったな・・・と思っていたら「生まれました」と。妹、朝入院して5、6時間で産んだらしい。破水してしまった場合は、感染症などの観点から促進剤を使うことが多く、妹はそれでサクっと・・・産んだらしい。妹の夫は仕事休みでたちあえたのだろうか? ぎゅーぎゅーのハザマでそんなことを考えていた。(※たちあえなかったということがわかった。カメラをかいにいっているあいだに生まれちゃったらしい)
なにーー。そんなに早く! いいなーー! おめでとー!
などと、ぎゅーぎゅーのハザマ(陣痛の溝)でそんなことをしていた。ずっと携帯をにぎっていた。
夕飯も同じように、ぎゅうぎゅうのハザマを利用してたべた。体力つかうからしっかり食べてくださいねの看護師さんのことばどおり完食。
でも、このとき、ちょっと座ってられないくらいになっていた。ベットに「おいのりのポーズ」のようにして、陣痛を逃がしていた。
そして助産師さん登場。「そろそろ陣痛部屋うつりましょう」と。
いよいよだな。このときも携帯にぎりしめてる。
あとは自分で作ったマッサージオイル(夫にやってもらおうとおもったのに!! いなかった!)と、いきみ対策のテニスボール。(つかうことはなかった。いつつかうかわからなかった)
陣痛部屋にいってまた心音チェックはじめたけど、もう、だめだ、耐え難い状態になっていた。うーーうーーーと、さかりのついた猫のような声。(自分の声かしら? と思うくらいだった! 痛い最中にわりと冷静な自分がいる)「どうします? だんなさん間に合います?」
「わ、わかりません」「まちます?」「まてません!!」
はい。じゃ、次の波で、分娩台いきますよ・・・
・・・ ・・・ ・・・
はい! いきます! このときかんかくはすでに1分とかになってるはずだから、小走り!
(さほど離れていないけどね)
どうやって分娩台にのったのかは皆目検討もつかない。忘れてしまった。
さあ! いきみますよ! と。
もう、こうなったら助産師さんまかせ。
このとき八時半。(夜)
なんか、聞いたことある声が・・・夫・・・登場・・・
なんだか間に合ったらしい・・・
でも、私、もう脂汗ピーク。
いきむこと約30分。「はい、髪の毛みえてますよ」
「髪の毛生えてますか!!!」←コドモの髪の毛に反応
「生えてますよ!」
など、やりとり。あごは引いて! 息はいて! とめて!
そうこうしていて、マメちゃん登場! ほげーほげーとないていました。
とりあえず、私の腕に3秒くらいだかせてくれて、そのあとは忙しく赤ちゃんはどこかにいってしまいました。(いろいろ仕事があるらしい)
わたし、脱力。
ぼろぼろ。
胎盤だしたり(ぞわっとした)、縫合したり。これが生むよりいたかった。。。
産んだ後1時間は動いちゃいけないということで、11時近くまで分娩室にいて、その間忙しく関係各所にメールをしました(!)ツイッターとか・・・
この日の夜は興奮して眠れなかった。
興奮して眠れないなんて、人生始まっていらい。
翌日からはすべてがはじめての人生が開幕! おっぱい、おむつ、抱き方、etcetc。
とにかく。ひとついえることは、産んだ後、動くなっていわれてじっとしていたベットの上で、赤ん坊を抱かせてもらってメールしまくって、なんだこれーちーさいねーとかやっていた1時間が人生のなかでいちばん幸せな時間だったことは断言できる。あんな時間またとないと思う。
(何度もいうけど、翌日から鬼のように痛みと戦い、眠さと戦うことになる・・・)
11月8日が予定日。ちなみに妹は11月15日だったかな? が、予定日。
そう。いとこが非常に近い誕生日にうまれる予定だった。
私。11月6日昼前、出血あり。おやー! そろそろかな。
前日医者にいったときはまだ子宮口開いてなくて、予定日越えそうだったから入院予約したのに。(そのときは無理やりだす! 育ちすぎると出すの大変になるから、らしい)
で、関係各所にメール。(というか、夫と母と妹、仲良しの友人)
そろそろくるなー。
この日、夫、仕事で家にいず。仕方ないからタクシーチェックしたりして。
その日は普通に仕事しましたよ。(そうそう。私、日常が休みみたいなもんで、仕事と線引きしておらず、だらだらと仕事していた)
翌日朝方5時ごろ。ぎゅーぎゅーと腹がいたい。これが陣痛なんだろうか?
でも、別にこれは耐えられるな。たいしたことない。医者いってかえってくださいっていわれたら面倒くさいな・・・なんておもいながら妹にメールしたら
「破水して入院しました」
とな。
おりゃー。ぬかされた!
で、私。時計みてると間がせばまっているのがわかり、病院に電話。「ではきてください」といわれて夫に病院まで送ってもらう。でもこの時点ではまだ余裕。
夫、この日に限り、遠方で仕事。この週はわりと仕事あけてもらっていたのに、よりによってこの日。
しかたなや。さいならーと病院で別れて、私だけ病室へ。
心音チェックをしたあと自分が入院する部屋へ通される。
(この時点で「勝負ウエア」を着せられる。オムツ着用。やたら尻がごわごわする。)腹がでているからうごきは非常に干満。そして一定の間隔でくる陣痛。
でも波と波の間では平常。だからメールしたり、日記かいたりのんきに過ごしている。
朝ごはんは自宅で食べて(忘れもしない。わたしの好きなコストコのミニクロワッサン)お昼からは病院ででたものを食べる。
でも昼くらいから痛みのウエーブが確実に大きくなっていて、ぎゅーぎゅーときている間はご飯も食べられない。しかしその波をおいやると、また普通にたべられる。不思議!
妹にメールしてみる。お互いの確認をしていたのだけど。。。あれ。そういえば音沙汰がなくなったな・・・と思っていたら「生まれました」と。妹、朝入院して5、6時間で産んだらしい。破水してしまった場合は、感染症などの観点から促進剤を使うことが多く、妹はそれでサクっと・・・産んだらしい。妹の夫は仕事休みでたちあえたのだろうか? ぎゅーぎゅーのハザマでそんなことを考えていた。(※たちあえなかったということがわかった。カメラをかいにいっているあいだに生まれちゃったらしい)
なにーー。そんなに早く! いいなーー! おめでとー!
などと、ぎゅーぎゅーのハザマ(陣痛の溝)でそんなことをしていた。ずっと携帯をにぎっていた。
夕飯も同じように、ぎゅうぎゅうのハザマを利用してたべた。体力つかうからしっかり食べてくださいねの看護師さんのことばどおり完食。
でも、このとき、ちょっと座ってられないくらいになっていた。ベットに「おいのりのポーズ」のようにして、陣痛を逃がしていた。
そして助産師さん登場。「そろそろ陣痛部屋うつりましょう」と。
いよいよだな。このときも携帯にぎりしめてる。
あとは自分で作ったマッサージオイル(夫にやってもらおうとおもったのに!! いなかった!)と、いきみ対策のテニスボール。(つかうことはなかった。いつつかうかわからなかった)
陣痛部屋にいってまた心音チェックはじめたけど、もう、だめだ、耐え難い状態になっていた。うーーうーーーと、さかりのついた猫のような声。(自分の声かしら? と思うくらいだった! 痛い最中にわりと冷静な自分がいる)「どうします? だんなさん間に合います?」
「わ、わかりません」「まちます?」「まてません!!」
はい。じゃ、次の波で、分娩台いきますよ・・・
・・・ ・・・ ・・・
はい! いきます! このときかんかくはすでに1分とかになってるはずだから、小走り!
(さほど離れていないけどね)
どうやって分娩台にのったのかは皆目検討もつかない。忘れてしまった。
さあ! いきみますよ! と。
もう、こうなったら助産師さんまかせ。
このとき八時半。(夜)
なんか、聞いたことある声が・・・夫・・・登場・・・
なんだか間に合ったらしい・・・
でも、私、もう脂汗ピーク。
いきむこと約30分。「はい、髪の毛みえてますよ」
「髪の毛生えてますか!!!」←コドモの髪の毛に反応
「生えてますよ!」
など、やりとり。あごは引いて! 息はいて! とめて!
そうこうしていて、マメちゃん登場! ほげーほげーとないていました。
とりあえず、私の腕に3秒くらいだかせてくれて、そのあとは忙しく赤ちゃんはどこかにいってしまいました。(いろいろ仕事があるらしい)
わたし、脱力。
ぼろぼろ。
胎盤だしたり(ぞわっとした)、縫合したり。これが生むよりいたかった。。。
産んだ後1時間は動いちゃいけないということで、11時近くまで分娩室にいて、その間忙しく関係各所にメールをしました(!)ツイッターとか・・・
この日の夜は興奮して眠れなかった。
興奮して眠れないなんて、人生始まっていらい。
翌日からはすべてがはじめての人生が開幕! おっぱい、おむつ、抱き方、etcetc。
とにかく。ひとついえることは、産んだ後、動くなっていわれてじっとしていたベットの上で、赤ん坊を抱かせてもらってメールしまくって、なんだこれーちーさいねーとかやっていた1時間が人生のなかでいちばん幸せな時間だったことは断言できる。あんな時間またとないと思う。
(何度もいうけど、翌日から鬼のように痛みと戦い、眠さと戦うことになる・・・)
もうすぐ8ヶ月なので離乳食もグレードアップ。
南国の香りがただよいます
おかゆ
唐木田の菖蒲館のあと中沢公園。きれいです
おかゆ
記録
もうすぐ7か月のCの離乳食記録
ミニバラがさきました。かわいい!
いつのまにか咲いた白い花たち
どこに植えるかかんがえねば。



